しにそう
いつも「しにたい」だったのが最近「しにそう」に変わってきた。
車が通った時にふらっとして、あ、今しにそうだったとか
橋を渡っているときに気を抜くと飛び降りそうということが増えてきた。
これは一時的なものでたぶん大丈夫だとおもうけど。
もともと希死念慮だった感情が自殺願望に変わってきたということなのだろうか
ただ、自殺願望というのは自殺企図を行うことであることを考えると少し違う気もする。
いまのぼくの状態は予期せぬ自殺を行いそうな状態なのだ。
この状態をなんと呼べばいいのかぼくは言葉をしらない。ただ客観的に今じぶんはしにそうな状態だなぁと意識している。
明確な死にたい理由は特にないし、正直ぼくは友人にも職場にも恵まれている。
そばにいてくれた人みんなに感謝しているし、だれにも恨みは持っていない。
しかし頭の中にあるのは「なにもできない」「もうだめ」「つらい」なのだ
何故なのかわからない。思考が制御不能になっている。
脳のなかで常に誰かが死ね死ね死ね死ねと言っているようにも感じる。
しにたいと思い続けた結果がこれなのだろうか
「しにたい」は怖くないんだけど、「しにそう」は怖い。
じぶんでもちょっとじぶんが不安になる。「しにそう」は良くない状態だ。
なんだか、憂鬱な文章になってきた。少し話を変えます。
先にも言ったようにぼくは友人や周りの人々には日々感謝している。
感謝感謝日々感謝って書くと意識高い系のおもしろ人間のように見えてくるが
ほんとうにいつも助けてもらっていると思っているのでちゃんとありがとうを伝えたい。
ぼくの「しにたい」や「しにそう」はぼく自身に内包された問題であり
周囲の人々による影響ではない、ぼく自身が解決しなければならない問題なのだ。
逆にいうと周囲の人々によって解決される問題ではない。
だからもしも、万が一ぼくが死んでも誰にも悲しんでほしくないし助けられなかったとか思わないでほしい。
ぼくはいつも死を望んできた。
これはワガママかもしれないがぼくが死んだらよかったなぁおめでとうと思ってほしい。
何度も言うが、ぼくはみんなに感謝しているし楽しかった、みんなと出会えて本当にうれしいと思っている。
いつもありがとうございます。
今現在思考がめちゃくちゃな状態で書いているのですごく読みにくい文章になっていてすみません。
読んでくれて、ありがとうございました。