メンヘラはジャスミン茶が好き

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ぼくが忘れてしまったら ぼくがいなくなってしまった

「たろう君って子供のころ愛情が足りなかったんじゃない?」

今までに数人に同じような指摘をされたことがある。

 

 

1回ならまだしも数回指摘されると、何か他人に対して明らかに分かる特徴が出ているんだろう。

確かにぼくの家庭は片親で実質的にぼくをしつけ、教育してくれたのは祖父母だったような気がする。(※この辺の情報を伝える前に指摘される)

母もいたが、母はぼくらと一緒に祖父母に教育されていた風に見えていた。

 

そんな祖父母はぼくが小学校のころ、中学校のころに亡くなって、それ以降は姉のような存在の母と一緒に暮らしてきた。

そのころからぼくは自立せねばという意思が生まれ身の回りのことだいたいをじぶんで行うようになっていた。

 

 

確かに、この状況からするとぼくは家族愛が足りずに育ってきているのかもしれない。

そしてそれにより、何らかの人格特徴が現れているのか。

その特徴を見抜いた人たちに「愛情が足りなかったんじゃない?」と心配させてしまっているのだ。

 

 

愛情が足りずに育った人の特徴について調べてみると

アダルトチルドレン(対人依存)

・自己愛性パーソナリティ障害(自己尊大)

境界性パーソナリティ障害(対人依存、不安障害)

といった障害を患うことが多いようだった。

 

 

この中で言えば、確かにそれぞれの特徴を少しずつ持っていたように思う。

対人依存もしやすい方だし、自己尊大感情もある、不安障害もあってうつ病になった。

ぼくはそれぞれの障害を少しずつもっているというややこしい人格なのだったとおもう。

 

 もっと言えば、境界性パーソナリティ障害に近い部分があって

この人格障害は「他者に対して明るく振舞っていてもどこかに寂しさがみえる」ことがあるそうで

この辺を見抜かれているのだろうなと感じた。

 

 

 ぼく自身こういった人格障害について10年くらい前から感じていて

何か問題が起こるたびに※ その都度、能動的に人格を矯正していった。

※人間関係でケンカしたり、仕事上で不具合を起こしたりした際

 

 

ぼくの今の人格はぼくが生まれ持って、育ってきて自然にできた人格ではなくて

ぼくがぼく自身の性質を無理やり矯正することによって出来上がった人格なのだと思う。

具体的にいうと、ぼくは自分の人格障害がどういったものでどういった欠点があるかを客観的に捉えて

その欠点を補える人物を探し、その人のまねをすることで人格障害を隠すようにして人格を矯正してきた。

このツギハギされた人格は見る人が見ればわかるようで、掴みどころがなかったりするようだ。

 

 

これによって、20歳以前のぼくと今のぼくはまったく人格が違っていると自分でも感じる、ほぼ別人だといってもいい。

人格を変えてしまって凄いと思う反面、我ながらサイコだなぁと引いている。

 

 

そしてその結果、ぼくはぼくがこの世にいなくなった感覚に襲われ死にそうになっていたのだ。

医学的には離人症に近い感覚なのだが、人格をガラッと変え始めた25歳前後の頃はこの離人症でよく死にたくなっていた。

生きやすくするためにと人格を変えたのに、それによって死にたくなるとは本末転倒も甚だしい。

 

 

客観的にツギハギされた人格が生きている様子をみるのはとても不思議なので

死ぬことに対してのハードルも下がっていて

しょっちゅう死にたくなった。

 


「ぼくが忘れてしまったら ぼくがいなくなってしまった」のだ。

 

 

ぼくを忘れたぼくは今のぼくをぼくと認識してぼくになるしかない。

 

今日もぼくは常に死んでいて、明日もぼくはなんとか生きているんだろう。